フレッド・イサム・ワダ(Fred Isamu Wada、日本名:和田 勇〈わだ いさむ〉、1907年9月18日 - 2001年2月12日)は、アメリカ合衆国の実業家(日系二世)。

実業家としてもさることながら、1964年の東京オリンピックや1984年のロサンゼルスオリンピック招致に関わるなど、スポーツ界に多大な功績を残している。和歌山県御坊市名誉市民、和歌山県スポーツ振興功労者。



和田とスポーツとの関わりは、1949年に古橋廣之進・橋爪四郎ら日本の水泳選手6名が、ロサンゼルスで開催される全米水泳選手権大会に出場するため渡米した際に、選手らの宿舎として自宅を提供したことに端を発する。

GHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーに出国許可を得て遠征。当時、旧敵国としてジャップと言われたり、唾を吐きかけたり、ホテル宿泊を拒否されたりしたが、フレッド・イサム・ワダが自宅を宿泊・食事をさせ、選手たちが白い飯を喜び、世界記録で1位、古橋広之進、2位、橋爪四郎の成績を収めると、ジャパニーズ イズ グレートとアメリカ人に評価され、日系人の入店拒否が無くなる等の地位向上にも貢献した[1]。これを契機として、当時日本水泳連盟会長だった田畑政治や東京大学総長だった南原繁、後に東京都知事となる東龍太郎らと親交が生まれた。

1958年には東京オリンピック招致に向けた準備委員会が設立されるが、和田も田畑・東らに懇願される形で委員に就任(日系アメリカ人としては唯一)。翌1959年春には同年5月の国際オリンピック委員会(IOC)総会に向けた集票活動の一環として正子夫人同伴で中南米を歴訪し、各国のIOC委員及び同夫人に東京へのオリンピック招致への協力を依頼した(なお、中南米歴訪の旅費等は全て和田の自己負担によるものであった)。その甲斐あって、IOC総会では1回目の投票で東京が過半数を制し、東京オリンピックの開催が決定した[1]。

開催決定後は日本オリンピック委員会(JOC)の名誉委員となり、主にアメリカの大会出場のため日本から派遣されてくる選手団の面倒を見るなど、日本選手のサポートを行った。東京オリンピックの期間中には、オリンピック開催に尽力した貢献を称える意味で勲四等瑞宝章を受章している。

東京オリンピック以後も、1968年のメキシコシティオリンピックでは組織委員会の渉外役員として、JOCと組織委員会の間の仲立ちを務めたほか、1969年には1976年の夏季オリンピック招致を目指したロサンゼルスのオリンピック委員団に入り(そのため和田は、前述の通り港湾委員会委員の肩書きを得ている)、1984年のロサンゼルスオリンピックでも組織委員会の委員の一人として、主に日本企業をスポンサーとして獲得するために活動した。


呼唤东京奥运之男東京にオリンピックを呼んだ男(2014)

又名:把五环唤来东京的男人 / 把奥运会带到东京的男人 / 为东京呼唤奥运会的男人

上映日期:2014-10-11(日本)

主演:大沢たかお 常盤貴子 萩原聖人 勝地涼 中尾明慶 小澤征悦  

导演:西浦正记 编剧:高杉良(原作)/寺田敏雄 Tosio Derada

呼唤东京奥运之男的影评